いじめから生まれるもの

中学の時に、いじめられていた同級生がいました。それ「やめなよ」と注意したところ、翌日から私がターゲットとなりました。
男子生徒からのいじめでしたが基本的に暴力ではなく、椅子を隠されたり、悪口を言われたり、私を馬鹿にする内容の絵が張られていたりという陰湿なものでした。
地味にダメージが蓄積してきました。
あるとき先生に相談したところ、その先生は次のHRで泣きながらクラス全員に「いじめはよくない」と訴えかけました。その結果、いじめは悪化しました。

先生の中途半端な失跡のせいで、私は「チクり魔」としてさらにいじめられることになりました。自殺も考えました。
…HRは中1のとき。それ以降中学時代の記憶はありません。ほとんど思い出せません。「いじめがすごかった」ということと、いくつかの、誰にも言いたくないようなエピソードだけが断片的に記憶に残っています。修学旅行にも行ったはずですが、何も覚えていません。

親にも相談しましたが「言い返しなさい」くらいのことしか言ってはもらえませんでした。

あれから30年近くが過ぎましたが、いつも思い出します。
いじめていたほうは覚えていないかもしれません。でも私は死ぬまで忘れないでしょう。彼らに復讐する気はありません。でも彼らが「幸せでなければいい」と思っています。
もしも、彼らに子供がいるのなら、その子たちが私と同じ目に遭って彼らが苦しめばいいと思います。
…そう考えるのは酷いことでしょうか。
子供は無関係かもしれません。

でも、いじめをするっていうことは、そういうことだと思うのです。
中学生だろうと、高校生だろうと、大人だろうと、いじめをする人間は、生涯恨まれる覚悟でいたほうがいいと思います。

そしていじめへの親の対応は、親への信頼にもつながります。
私の親は、テレビで、いじめによる自殺のニュースを見るたび、もっともなことばかり言います。
しかし私の時に何もしてくれなかった以上その言葉に説得力はないのです。

いじめからはマイナスのものしか生まれません。絶対に、そう思います。

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